2015年04月24日
「名プレーヤー、名指導者に成りえず」のメカニズムについての「なるほど!」な理由
●「名プレーヤー、名指導者に成りえず」のメカニズムについての「なるほど!」な理由
こんにちは、嶺川(みねかわ)です。
営業マンの頃から、ずっと疑問に思い、追求しているテーマが2つあります。
・超一流の人は、なぜ超一流なのか?
・でも、超一流なのに教えることが下手なのはどうしてなのか?
この2つです。
いくつかの答えは持っているつもりなのですが、こちらのプロゴルファーで作家の坂田信宏さんの説もとても面白かったです。
坂田さんは、古閑美保や有村智恵などを輩出した「坂田塾」で有名な方です。
味わいの有る文章を書かれる方で、マンガ「風の大地」の原作もされている、とても好きな作家さんです。
********************************
プロスポーツ界において超一流選手が誰もが見事な指導者になれるかというと、これがなかなかに難しそうである。
アマチュアスポーツ界でも同様の指摘が存在する。
「名プレーヤー、名指導者に成りえず」という格言ができるくらいだ。
その理由を考えてみた。分析した。
そこでわかったことは、名プレーヤーは自分を信じる気持ち、自己愛が極めて強い。
超一流ほどにその傾向が強いということであった。
自分のやっていること、自分の能力、努力、運までも、それらすべてを含めて否定がない。
肯定だけだ。
自分を信じる気持ちが極めて強い。
だからぶれない。迷わない。一直線。
そして結果を残す。
その結果がますます次の結果を残す、という好循環、好連鎖ができるわけだ。
ところが超一流から、一流、二流、三流と下るにしたがって、己のやっていることに疑問を持ちはじめる。
すると、プレイヤーとしては己のことだけを考えていればいいものを、周りを眺めるようになる。
そしてある意味で評論家的立場にも立つ。
強い人間ほど評論なんてものは縁遠きものである。
評論はその選手を客観視して、他と比べたり過去の名選手と比べたがる。
けれど強い選手ほど比較分析など絶対にしない。
今の自分と将来の自分以外には興味は持たない。
そして自分の信じるところへ突き進んでいく。
ところが選手としてのレベルが下がるにつれて自分を信じる気持ちが薄らいでいる。
いたずらに目の前の相手と比較し、羨んだり、ひがんだりする。
その気持ちから、確かに目の前の相手に勝つことはできても、その上のレベルには進めないわけだ。
自分で壁を作る、限界を作る。
ゴルファーだけに見られる傾向じゃない。
他のスポーツ選手、皆いっしょであった。
いろんなスポーツの超一流、一流の選手と話してみて、その言葉の端々から、やっぱり自分を信じて来ていたんだなと感じた。
ところが、超一流だった人が指導者に転じ期待されたほどの結果を残せないことは多い。
現役時代には己を信じ、己のことだけを考えておればそれで最良の結果を残せたわけだが、その思考を相手に向けたとき、自分の思い通りにはなかなか行かないわけだ。
「現役時代のオレはこう考え行動してきたからこんな結果を残す事とができた。それをなぜお前はできないんだ」となる。
己の肯定をするほどに、相手を頭ごなしに否定することになる。
チーム競技ならば、チームはバラバラに、個人競技であっても選手は萎縮する。
そうなると可愛がる選手、期待する選手と、期待できない選手を作ってしまう。
そしていつしか頑固になり、指導者としての己に自信を失い、他者と比較し、そして埋没していく。
これが「名プレーヤー、名指導者に成りえず」の構図ではないかと考えたわけである・・・
「叱る力」著:坂田信弘 双葉新書より
************************************************
ということは、超一流を目指している段階では、自分を認め、他人と比較せずに突き進むこと。
そして指導者、上司、経営者となった時には、自分と他者は違うということを学ぶことが大切なようですね。
参考になりましたら幸いです。
こんにちは、嶺川(みねかわ)です。
営業マンの頃から、ずっと疑問に思い、追求しているテーマが2つあります。
・超一流の人は、なぜ超一流なのか?
・でも、超一流なのに教えることが下手なのはどうしてなのか?
この2つです。
いくつかの答えは持っているつもりなのですが、こちらのプロゴルファーで作家の坂田信宏さんの説もとても面白かったです。
坂田さんは、古閑美保や有村智恵などを輩出した「坂田塾」で有名な方です。
味わいの有る文章を書かれる方で、マンガ「風の大地」の原作もされている、とても好きな作家さんです。
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プロスポーツ界において超一流選手が誰もが見事な指導者になれるかというと、これがなかなかに難しそうである。
アマチュアスポーツ界でも同様の指摘が存在する。
「名プレーヤー、名指導者に成りえず」という格言ができるくらいだ。
その理由を考えてみた。分析した。
そこでわかったことは、名プレーヤーは自分を信じる気持ち、自己愛が極めて強い。
超一流ほどにその傾向が強いということであった。
自分のやっていること、自分の能力、努力、運までも、それらすべてを含めて否定がない。
肯定だけだ。
自分を信じる気持ちが極めて強い。
だからぶれない。迷わない。一直線。
そして結果を残す。
その結果がますます次の結果を残す、という好循環、好連鎖ができるわけだ。
ところが超一流から、一流、二流、三流と下るにしたがって、己のやっていることに疑問を持ちはじめる。
すると、プレイヤーとしては己のことだけを考えていればいいものを、周りを眺めるようになる。
そしてある意味で評論家的立場にも立つ。
強い人間ほど評論なんてものは縁遠きものである。
評論はその選手を客観視して、他と比べたり過去の名選手と比べたがる。
けれど強い選手ほど比較分析など絶対にしない。
今の自分と将来の自分以外には興味は持たない。
そして自分の信じるところへ突き進んでいく。
ところが選手としてのレベルが下がるにつれて自分を信じる気持ちが薄らいでいる。
いたずらに目の前の相手と比較し、羨んだり、ひがんだりする。
その気持ちから、確かに目の前の相手に勝つことはできても、その上のレベルには進めないわけだ。
自分で壁を作る、限界を作る。
ゴルファーだけに見られる傾向じゃない。
他のスポーツ選手、皆いっしょであった。
いろんなスポーツの超一流、一流の選手と話してみて、その言葉の端々から、やっぱり自分を信じて来ていたんだなと感じた。
ところが、超一流だった人が指導者に転じ期待されたほどの結果を残せないことは多い。
現役時代には己を信じ、己のことだけを考えておればそれで最良の結果を残せたわけだが、その思考を相手に向けたとき、自分の思い通りにはなかなか行かないわけだ。
「現役時代のオレはこう考え行動してきたからこんな結果を残す事とができた。それをなぜお前はできないんだ」となる。
己の肯定をするほどに、相手を頭ごなしに否定することになる。
チーム競技ならば、チームはバラバラに、個人競技であっても選手は萎縮する。
そうなると可愛がる選手、期待する選手と、期待できない選手を作ってしまう。
そしていつしか頑固になり、指導者としての己に自信を失い、他者と比較し、そして埋没していく。
これが「名プレーヤー、名指導者に成りえず」の構図ではないかと考えたわけである・・・
「叱る力」著:坂田信弘 双葉新書より
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ということは、超一流を目指している段階では、自分を認め、他人と比較せずに突き進むこと。
そして指導者、上司、経営者となった時には、自分と他者は違うということを学ぶことが大切なようですね。
参考になりましたら幸いです。
Posted by 嶺川博 at 06:33│Comments(0)
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